官能小説と制服
団鬼六先生の場合、そのSMの魅力の大部分は和服の拘束の美にあります。花と蛇はまさにそれであり、映画版での杉本彩では、SMの美を表現できなかったのは、彼女の大柄な体型がもはや和服の美を表現できなかったことによるものと思われます。
ヨーロッパの場合、ポルノ絵画は銅版画で普及したという歴史があり、立体表現に優れた銅版画は裸体のセックスを描くものになりました。王侯貴族の場合は、油絵ですが、やはりこれも立体表現に適していますので、裸体画となります。
これに対して、日本の場合、浮世絵という版画でポルノ絵画が普及したため、その表現は平板となります。裸体でエロスを表現することしは難しものでした。さらに、日本の場合、裸体での労働というものが男女ともによくある労働スタイルでしたので、寒冷地であるヨーロッパのように裸体そのものがエロスを表現するものとはなりませんでした。むしろ、華麗な着物の方が非日常的な美を表現するものとなりました。
しかし、最近の日本女性の体型の変化で、和服がもはや日本の若い女性に合わなくなってしまいました。特に乳房についての美意識が変化してしまったために、和服の美そのものが成り立たなくなってしまいました。戦前の和服文化では巨乳は醜いものと考えられ、女性は乳房が大きいことに悩んでいました。
しかし、戦後の美意識の変化、特に、アグネス・ラムの衝撃以降、小柄で巨乳という美が定着すると、和服では美を表現できなくなりました。そこで代わりに登場したのかべ制服の美です。特に名門校の制服であれば、それは庶民が手に入れることができるものではありません。シャネルはヨーロッパの働く女性向きのものであり、日本人にはあいません。庶民の女性が金に飽かせてシャネルをきているのはむしろ醜いものと思います。
美意識にとんだオタクにとっては、シャネルではなく、自分にとって手の届かない存在の名門校の制服に包まれた美しい肢体の方がエロスを表現していると思います。そもそも、セーラー服は日本生まれの洋服であり、ヨーロッパの学校にある者ではありません。日本の若い女性にフィットした洋服であり、和服に替わる着衣の美を表現する者になりました。
紅屋妙人は、着衣での拘束の美という日本のSM文学の伝統を文字で表現しようと、でじたる書房で小説を発表しています。
最新作はです
紅屋妙人の2007年に発表された近作としてはつぎのようなものがあります。上気のタイトルをクリックすると、まず「でじたる書房」の紅屋妙人の該当作品の紹介ページに行きます。(18禁です。アダルトチェックがあります。) そこに、作品のさわりの部分が「抜粋」として紹介されており、無料でお読みいただけます。全文は380円でお買い求めいただけます。

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