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2009年7月23日 (木)

紅屋 妙人の最新作「美処女コレクター」のご紹介

美処女コレクター ~犯されし処女たちのビデオコレクション~

いつも、このブログや紅屋 妙人の作品をお読みいただき誠にありがとうございます。

 

 今回は最新作のご紹介です。

 これまでも、ブログで何回か、新しいオタクの文化について書かせていただきました。最近の日本は、さえない話しかありません。かつて電子立国を誇った製造業では世界をリードする分野はなくなり、先端のコンピューターとなれば、ハードもソフトもだめという状況です。伝統的な製造業はもっぱら中国相手の輸出ぐらいしかないという状況で、これにも未来がありません。こういう中で、世界が注目しているのが、オタクの文化でしょう。海外の庶民も秋葉原に観光に来ますし、知識人たちは、哲学的な論文や、社会学的な研究をものにしています。過小評価しているのは、日本の保守的な人々のみであり、こういう人たちが箱物の国立メディア博物館とかいう理解不能なプロジェクトをぶち上げています。秋葉原の中古ゲームショップに行けば、もう、美少女ゲームの古典のようなものが多数ありますので、そんな博物館は不要でしょう。しかし、日本の保守層は美少女ゲームを博物館に収めるつもりはないようです。

 オタク文化の特徴は、製造するものと消費するものの境界がなく、消費者も文化の創造に参加できるというところにあります。

 紅屋妙人は残念ながら、CGが描けませんので、文字の世界でオタク文化の創造に参加したいと考えております。

 日本の保守層はオタク文化を敵視しているようで、児童ポルノ法や業界の自主規制などで、文化の創造を抑圧しようとしていますが、オタク文化を創り出すのは、醜悪な現実への失望です。リアルな生活が充実していれば、多くのオタクはオタク文化を離れ、彼女との生活や、家庭生活や、伝統的な文化に回帰していくでしょう。しかし、生身の彼女ももてず、まともな生活を営めない人に、伝統文化は一体何をしてくれるというのでしょう。醜悪な現実、希望の持てない生活がオタク文化を創り出します。そして、それは日本だけの話ではなく、全世界的な話になってきているようです。

 

 今回の作品もオタク文化の創造に貢献したいと思い、丹精込めて書かせていただきました。

 今回の物語は現実の生活に痛めつけられ、アダルトビデオの虜となった中年の男の物語です。生身の彼女を持つこともできず、楽しい家庭生活を知るということもなく、アダルトビデオでオナニーすることだけを楽しみとして、中年となってしまった孤独な男が、アダルトビデオというヴァーチャルな世界の境界を越え、生身の美しい女性を虜にし、自分だけのアダルトビデオを作り上げていく物語です。あらすじは次のようなものです。

 

「朋幸は、東京でこき使われるだけこき使われて、この不況のさなかに、あっけなく会社を馘首された。

住む家もなく、行くあてもない朋幸は、東京ではどうしようもなくなり、故郷に戻ってきた。しかし、故郷もまた、安住の地ではなくなっていた。懐かしい裏山は、開発され尽くし、ニューリッチのためのしゃれた別荘地になってしまっていた。また、生家も、姉夫婦がついでおり、朋幸には居にくいものとなっていた。

朋幸はすべてを奪い取られたような激しい喪失感に襲われた。

 朋幸はそんな喪失感にさいなまれながら、別荘地を徘徊していた。すると、ベンツに乗った美しい姉妹が別荘の中に入って行くのを見た。東京で働くだけで、彼女いない歴が年齢にひとしい朋幸は、あんな彼女がいれば、自分の人生ももう少し潤いのあるものになっていたはずだと思うと、また、喪失感にさいなまれるのだった。中年になった朋幸には、家庭も彼女もいなかった。

 そんな暗い気持ちで別荘地を徘徊していると、朋幸は、さっきの美しい姉妹の妹の紗里奈が白のサマーセーターにジーンズというスタイルで歩いているのに出くわした。朋幸はその姿に見とれて、後をつけてしまった。

 そして、朋幸はある荒れ果てた別荘の中に紗里奈を監禁した。朋幸は子供のころの秘密基地にでもしたつもりだった。アダルトビデオのオタクというべき朋幸は、膨大なビデオのコレクションをもっていた。しかし、それらのビデオでは満足できなくなっていた。

 最高のビデオを取るべく、ビデオで撮影しながら、紗里奈をガムテープで拘束した。拘束された紗里奈から衣服をはぎ取り、美しい肢体をビデオでなめ回すように接写しながら、紗里奈を撮影した。朋幸は、欲望を抑えることができなくなり、紗里奈の肉体を貪るように抱きしめた。ビデオで撮影されていることを考えると、激しく興奮し、朋幸は、紗里奈の処女の肢体を思いっきり汚したくなった。紗里奈の悲鳴が上がり、その処女の肢体は………。」

というものです。続きは、是非全文をお買い求め下さい。

 最近、ヱヴァンゲリオン 破をみてきました。十数年前リアルタイムでエヴァをみたとき、社会の閉塞状況とシンクロしていると思いました。あの当時も金融危機のさなかにあり、希望の持てない時代でした。そして、十数年たった現在、状況は改善するどころか、閉塞は一層悪化しています。そして、こういう時代であればこそ、オタク的な文化が希望の持てない人々の癒しになれるのではないかと考えます。

 

紅屋 妙人はこれまで、以下のような作品を「でじたる書房」で発表してまいりました。

 

美処女コレクター ~犯されし処女たちのビデオコレクション~

美しき姉妹教師 ~処女教師は妄執のはてに犯される~

蒐集されし美処女

美しき処女を狩る者 ~処女姉妹は凌辱され孕まされる~

美教師 屈辱の家庭訪問 ~処女教師は監禁され孕まされる~

美処女 妄執のレイプ ~美女子校生はコスプレで凌辱され受胎する~

憧れの女教師 犯す ~美しき女教師は監禁され 受精する~

美しき女子校生 狩られる ~美女子校生は警備員に犯され妊娠する~

ストーキングそして凌辱 ~美令嬢は監禁され受胎を強いられる~

陵辱される学園 ~女子校生と女教師 陵辱そして妊娠~

美しき女教師 強制受精 ~処女教師は監禁され精液を注ぎ込まれる~

廃校舎の美しき牝奴隷 ~令嬢たちは用務員に犯され受精する~

美しき女子校生 痴漢陵辱 ~美しき娘たちは監禁され、受精する~

美しき隷嬢女教師 ~新任女教師 痴漢 陵辱 強制受胎~

孕まされし美隷嬢 ~美しき女子校生 陵辱 強制受精~

愛おしき学園の美奴隷 ~美しき女教師 監禁陵辱 強制受精~

女子校生 美しき虜囚 ~美しき女子校生 コスプレ緊縛 強制受胎~

生贄の美しき女子校生 ~美しき女子校生 拉致監禁 強制受精~

緊縛されし水着の美隷嬢 ~美しき女子校生と美教師 水着緊縛 強制受精~

囚われの美教師 ~麗しの女教師 監禁 強制受精~

華やかな姫奴隷 ~高貴の姫君は桜の木の下で犯され受精する~

電車の中の牝奴隷 ~痴漢されし令嬢は凌辱され、受胎する~

囚われのお嬢様と姫君 ~犯されし女子校生は被虐の中で受精す~

美しき二匹の牝奴隷 ~美処女は痴漢され、犯され、受精する~

美令嬢 強制受胎 ~女たちは牝のように犯され受胎する~

牝教師 孕む ~令嬢教師は犯され、そして、受胎する~

学園の牝奴隷 ~令嬢たちは牝となり受精する~

被虐の牝教師 ~女教師は犯され牝となり受精す~

廃校舎の隷嬢 ~犯された女子校生は精液を注ぎ込まれ妊娠する~

美しき女子校生と女教師と ~女たちは痴漢され犯され受精する~

汚された女子校生 ~痴漢された令嬢は陵辱され受胎する~

犯された美姉妹 ~夏の高原で令嬢は陵辱され受精す~

あこがれの美教師 ~女教師 痴漢 視姦 強制受胎~

女子寮の麗しき隷嬢 ~女子校生 緊縛 受胎~

汚されし麗しの制服 ~美しき女子校生 陵辱 強制受精~

麗しきメイドの館 ~美姉妹令嬢はメイド服で妊娠す~

狙われた美教師 ~新任令嬢教師 女子校生 強制受胎~

汚されし麗しの制服 ~美しき女子校生 陵辱 強制受精~

美しきメイド隷嬢 ~令嬢 調教 強制妊娠~

美しき令嬢 ~女子校生 強制受胎~

美しき女教師 ~あこがれの令嬢女教師 調教 受精~

ボクの愛しいメイドさん ~令嬢はメイド服で受精する~

ボクの美しきマドンナ ~教育実習生と令嬢女校生 受胎~

お姉さんティーチャー ~義姉女教師 陵辱 受胎~

牝奴隷 狩る ~洋館の令嬢と人妻 強制受胎~

麗しのメイド姉妹 ~受胎する美教師と令嬢と~

美教師 コスプレ陵辱 ~メイド服受胎告知~

ボクの可愛い先生 ~新任女教師 陵辱 妊娠~

メイド令嬢 ~美姉妹強制妊娠~

美姉妹孕む ~巨乳姉妹は犯され受胎する~

隷嬢女教師 ~令嬢教師は陵辱され受精する~

受精する隷嬢~令嬢たちは犯され受胎する~

美しき隷嬢 ~生徒会長陵辱~

ボクの担任の先生 ~犯される美教師~

 

 

タイトルをクリックしていただきますと、作品紹介のページに飛びます。そこで、無料にて作品のさわりの部分をお楽しみいただけます。作品がお気に召しましたなら、全文を380円にてお買い求め下さい。パソコンにてダウンロードして直ちにお楽しみいただけます。(18禁です。)

2009年7月14日 (火)

ビョーキではなくオタク

しかし、オタクとはなんなのだろうか。ビョーキから始まったものであるにしても、現在のオタクをビョーキとは呼べない。思うにビョーキと読んでいたときのオタクは孤立した存在出会った。これに対してオタクはお互いに連絡を取ろうとしたとい大きな差がある。

 では、現在使われている用語としてのオタクとは何なのだろうか。

 以下においてまずオタクの定義について論じたい。具体的にはその淵源をたどり、その使用方法を説明したい。

 しかし、人はいかにしてオタクとなるのか。欧米の様々な研究はその理由を日本社会の独自性に求める。バラールのオタクジャポニカも社会構造、家庭と学校がこの中で重要な要素として論じられる。

 しかし、オタクは日本でのみ見られる現象ではない。オタクはヨーロッパにも存在する。しかし、ヨーロッパの議論はベネックスのドキュメントに基づくものであるであり、その大本はバラールのオタクジャポニカにある。

 単純化されたオタクの概念が指す人は、独自の、いやゆがんだメディアとのつき合い方に特徴づけられる人である。メディアへのゆがんだ依存が否定的な意味を引き起こす。

 オタクがこの特殊なメディアを生活の中心にする時、これは二番目の否定的な意味を巻き起こす。オタクはこれにより、ヴァーチャルな世界や人物に現実以上に注目するということになるからである。

 保守的な人々はメディアの向こうにリアルな世界があることを当然のこととしている。だから、アイドルの映画をみれば、次に現物のアイドルと会いたいという話になっていく。アイドルとあえなければ、にたような雰囲気の女性と恋をし、家庭を築くのが保守的な人々が許せる下限なのだろう。

 しかし、オタクはこの実物の世界には行かない。アイドルオタクはアイドルをヴァーチャルな世界で愛でるが、リアルなアイドルには関心がない。まして、アイドルのような彼女を持とうとすることもない。ヴァーチャルな世界が実在する世界と同価値というのもオタクの一つの特徴である。

 オタクという日本語は本来家を意味し、非常に形式的な呼びかけに用いられている。こういう呼び掛けは、平井一正の『ウルフガイ』シリーズでも使われていた。一説によると、慶応の付属高校のSF愛好家が使っていたともいわれている。

 オタクは、あまり親しくなりたくない人とコミュニケーションするときの呼び掛けの言葉として用いられる。オタクは、日本では対象となっている人と距離を取りたいときに使われる言葉である。オタクという概念は独自の立場を明確にしたい時に適している。これにより他人と距離を置くことができる。しかし、これはオタクという言葉である人が排除されたり、軽蔑されたりということを意味するものではない。オタクは反対に生存の場所が指定されている。これらは確かに社会の周縁ではあるが、弱い紐帯で結びつけられた部分である。

 筆者が知る限り、オタクという言葉を使い始めたのは、八十年代初頭の雑誌『OUT』であった。アニメファンの集会などで、他人に『オタク』といって話しかけて、自分のコレクションを自慢する連中という意味で使われていた。ニュアンスとしては、ビョーキと称して、自分のカラの中に閉じこもる普通のオタクに対して、割とずうずうしい存在として扱われていた。

 八十年代初頭のオタクはアニメのヒロイン、たとえばガンダムのセイラに恋する自分などというものが他人に理解されることはないということを前提に自分の世界に逃避していた。こういうオタクに対して、自分はセイラのセルがや、自分が描いたヌードをもっちていると自慢して語る人たちが、オタクと呼ばれていた。ビョーキである自分を積極的に語る人たちが登場したのである。中森昭夫がオタクを語る以前に雑誌の『アウト』にオタクは登場していた。現在に至るオタクの語源はここにあるものと筆者は考えている。

 これまで論じてきたところでは、オタクという言葉に否定的な意味はないが、日本社会においては、社会の周辺部分に位置づけられるということは、該当者にとっては微妙なことになる。グループの紐帯から排除されるということは自己の喪失に等しいことであるからである。このことは日本文化の三つの基本と結びついている。集団主義、ヒエラルヒー、形式主義である。これらの三つの要素が明らかにする事実は、日本はヒエラルヒー化された社会構造を基礎とし、調和と安定を形式的に志向する文化の国であるということである。

 伝統的な日本で、個人が子供のころから直面する問題は、具体的に規定され、認められた場に参加しなければならないということである。この場がないと存在の意味が失われる。どのような社会グループにも属さないということは、全く受け入れがたい状況となる。日本ではあるグループに属することで必要な安全が提供されるからである。集団主義、ヒエラルヒー、形式主義という価値は、日本では、学校、職業、家庭で維持されている。これらの分野以外ではこれらの価値は限定的である。若い世代は伝統的価値と現代的価値の狭間にある。新しい価値は、西欧の価値が日本文化に流入する事で登場したものである。

 オタクはポスト工業化社会の産物である。その情熱の対象が生活の中心にある。ここで問題になっている対象はポップカルチャーから発生しているものである。アニメ、マンガ、アイドル、テレビゲーム、プラモデル、軍事、技術一般、それにコンピューターである。だが、水槽、サッカー、健康オタクも論じられている。オタクは特定の分野とは関係がない。むしろ対象との関係である。

 オタクが指す人は、その生活をバーチャルな空間に移し、または、ヴァーチャルな場の特殊な内容を生活の中心にしている人である。この例としては、メディアの人物でもあるし、人形やサッカーでもいい。この限りにおいて、オタクはコンピューターへの情熱とだけ限定されることはない。オタクはパソコンの前異に座り、マンガ、アニメ、フィギュアを集める。しかし、外界との関係に注意しない。外界を無視するというところに、ファンとの違いがある。ファンがオタクの原型であるが、オタクをファンの同義語として使うのは正しくない。従来の西欧におけるファンは情熱は有しているが、その情熱により、社会的な領域に背を向けるということはない。

 社会的な領域に背を向けるのが日本のオタクの特色である。しかし、これも一時的もので、北京オリンピックの際のチベット弾圧に反対するオタクたちや、『オタク』を最初に持ち上げた政治家である麻生太郎に対する初期の熱狂を考えると、オタクが社会に背を向けるというのは、八十年代、九十年代の特色であると考えられる。これは歴史的な経緯で説明できることである。宮崎駿などが社会に背を向ける作品を作り出すが、これは、彼が、戦後の労働運動の挫折の体験である東宝争議で仕事をなくした人であるということがある。押井守は高校時代からの学生運動家で挫折の経験がある。ガンダムの作家である安彦義和も学生運動からドロップアウトした人である。

オタクの第一世代は、七十年代の学生運動が終息した時代に学生生活を過ごし、学生運動で挫折した人々の作品を愛好した。したがって、初期の社会に背を向けたというイメージがここで定着した。

しかし、オタクであることをやめた第一世代を別にして、いまだにオタクを続けている人は社会に背を向けている人々ではない。社会とかかわりをもち、それなりの収入を得て、「オトナ買い」と称して、オタク向けの商品を大量に購入するようになっている。

欧米では、オタクの特徴は社会に背を向けた存在としているが、それは少なくとも、現代のオタクには当てはまらず、歴史的な一時期の現象として説明できると考えられる。そうなると、オタクの特徴というのは、歪んだメディアの消費ということにある。リアルな世界よりも、メディアの世界を重視する消費性向がオタクと考えれば、現在の日本の様々な状況が説明できると紅屋妙人は考える。

日本の場合このリアルというのが、まず自分が所属する集団ということになる。個人のありようということではない。恋愛ですら集団が前提になる。

紅屋妙人は社内恋愛ということばを聞くと気味が悪い。家庭の中にまで集団を持ち込むというのがまず信じられない。相手が上司の娘とかになると、一体どんな個人生活が成り立つのか想像できない。

しかし、これが日本のリアルである。こういうものに背を向けたとき、ガンダムのセイラ、ライドバックの尾形琳、屍姫のマキナ、エヴァのレイの美しさが輝いて見えるのである。

紅屋妙人はこういう美を表現したいと思い、『でじたる書房』で小説を発表しております。

ボクの愛しいメイドさん ~令嬢はメイド服で受精する~

ボクの美しきマドンナ ~教育実習生と令嬢女校生 受胎~

お姉さんティーチャー ~義姉女教師 陵辱 受胎~

牝奴隷 狩る ~洋館の令嬢と人妻 強制受胎~

麗しのメイド姉妹 ~受胎する美教師と令嬢と~

美教師 コスプレ陵辱 ~メイド服受胎告知~

ボクの可愛い先生 ~新任女教師 陵辱 妊娠~

メイド令嬢 ~美姉妹強制妊娠~

美姉妹孕む ~巨乳姉妹は犯され受胎する~

隷嬢女教師 ~令嬢教師は陵辱され受精する~

受精する隷嬢~令嬢たちは犯され受胎する~

美しき隷嬢 ~生徒会長陵辱~

ボクの担任の先生 ~犯される美教師~

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オタク以前のこと ビョーキ ~オタク的な余りにオタク的な 2~

オタクについて、肯定的に語る人々も否定的に語る人々も、オタクという言葉が八十年代に登場したあたりから話が始まる。しかし、ここで忘れてはならないのはオタクという言葉ができる以前から、オタクと現在呼ばれている人々がいたということである。

最近はオタクについても、ナショナリズム的な発言をする人々がいる。日本のアニメを礼賛するオタクもナショナリズム的な感じが見受けられる。こういう人々は外国のまじめなオタク研究も、日本特殊論として排斥する傾向がある。

 しかし、日本社会に対する批判すべてを日本特殊論で片づけてしまえば、それは批判に耳をかさないということであり、これはある種の鎖国論に至るものである。もう少し真摯に耳を傾けた方がいい。

 オタク以前のオタクを考えてみた場合、オタクに対する批判や、日本社会批判は既に内在していたことがよくわかる。紅屋妙人は外国の否定的な見解は、この当時のオタクの自己規定からでている者があるように思える。

 オタクという言葉ができる以前から、オタク的な行動をする人々はいた。最初は「宇宙戦艦ヤマト」のファンがそうだったかもしれない。しかし、このファン層には現在オタクといわれるような二次元の世界に入れ込む人々だけでなく、戦艦が宇宙をいくというSFロマンにあこがれたファン層もいた。スタートレックにあこがれる欧米人は多いが、彼らはオタクとは呼ばれていない。70年代のヤマトブームはSFとオタクの混在といえよう。

 次にきっかけとなったのが、ガンダムであった。ガンダムは1979年に放映されたが、人気は出なかった。ヤマトは当時既に何度も映画化されていた。SFが好きな人々からは、ガンダムは、またロボットを登場させたということで退行だと考えられていた。唐沢俊一氏もそういう立場を今でも取っている。

 しかし、ガンダムを支えたのは、最初はSFからは遠いところにいた少女マンガファンだった。ガンダムの最初のころの山場であるガルマの死にインスパイアされ、シャアとガルマの同性愛的な物語を派生させていった。今の腐女子の先駆けである。

 次にガンダムに引かれたのは、ガルマの死でシャアがいったん舞台か退いた後に主役となったのが、セイラという少女だった。ガンダムファンの青少年はこのセイラに夢中になったのである。

 それ以前にもアニメのヒロインの少女は数多くいた。アルプスの少女ハイジもそうだった。ドラえもんの静もいた。宇宙戦艦ヤマトの森雪もいた。 

 しかし、いずれも明るく健康的で、大人になればいいお母さんになるというタイプばかりであった。 

 セイラはそうではなかった。ブラザーコンプレックスであり、時にサディスティックですらあった。当時、ふつうの生身の少女に恋することのできない青少年がこのセイラに夢中になり、「悩ましのアルテイシア」というヌード画像まで作り上げた。そして、ファンの中にはこれでオナニーまでしたものもいた。(映画『めぐりあい宇宙』でのセイラの入浴シーンでオナニーした猛者もいると聞く。)

 こういうアニメの中の少女に青少年が恋するという現象が80年代初頭に出現したのである。今でいうオタクの登場であり、萌えの登場だった。しかし、オタクということばがなかったとき、こういう青少年、もしくは、ガルマに恋する女子を指す言葉はなく、あるいは「ビョーキ」とよばれたり、自分でもそういったりしていた。

 こういうファン層が後にオタクと呼ばれるようになっていく。セイラにあこがれた紅屋 妙人もその一人である。紅屋 妙人も80年代は「ビョーキ」と自称していた。しかし、最近はオタクと呼ばれている。やっていることは以前と全く同じである。対象はセイラだけでなく、最近のアニメヒロインまで拡大している。セイラの正統後継者としては、マクロスのシェリルか、ライドバックの尾形琳かというところである。

 しかし、日本の論者もしっかりと認識しておかなければならないのは、オタクという言葉ができる遙か以前、外国も日本の知識人も現象を認識するはるか以前から、後にオタクと呼ばれる人々が自分たちを「ビョーキ」というネガティブな言葉で表現していたということである。これは宮崎勤事件のはるか以前のでき事であった。特段の事件が生ずる前にすでにオタクとしての行動をとる人々が自らを病気であると定義していたということが重要である。

 ビョーキと自らを呼んだわけではないが、宮崎駿も同じような発言をしている。彼は学生のころ、『白蛇伝』をみて、そのヒロインに恋い焦がれたが、そういう自分を恥じている。

 オタクたちが欧米化された日本異質論者であった訳ではない。

 「病気」ではなく「ビョーキ」といっていたところが重要である。「ビョーキ」であれば、日本の保守層がしたいような犯罪者予備軍としてのオタクということになる。「ビョーキ」としたのは、世間からすると病気だろうけれども、自分たちは病気ではないという反抗的な自己アイロニーがある。

 ではなぜ、世間は病気とみると考えたのか。アニメのヒロインに恋することがビョーキであり、生身の人間に恋するのがフツウである、というのはどこに原因があるのだろうか。ヨーロッパでは変わった恋というのはそれほど不思議なものではなく、文学作品も多い。人ならざるものに恋する物語としては、ゲーテにも、ホフマンにも名作がある。映画でも、オタク第一世代のバイブルになっているブレードランナーなどがそうである。しかし、欧米ではこういう取りつかれたような主人公をビョーキとは言わない。ブレードランナーのレプリカントの不思議な美貌をアニメで表現しているのが、『まほろまてぃっく』の『まほろ』さんだろうし、最近であれば『初音ミク』だろうか。

 日本で、オタクな人々が、当初自分たちをビョーキと称していたのは異質なものを徹底的に排除しようとする日本社会の特質にあったのは事実であり、この世代の人たちが、ビョーキではなく、後にオタクという言葉を使うようになり、オタクに対するネガティブなイメージの発端となっている。宮崎勤事件のときに、特撮オタクであった彼を病的な犯罪者としてオタクにしたのは、マスコミの論調もさることながら、自分たちの定義にぴったりとはまるような事件に遭遇したオタク第一世代であった。

 しかし、日本のみならず、世界にこれだけオタク的な人々がいる中で、これをビョーキとだけ称していても、物事の解決にはならない。政党の凌辱ゲーム規制論者は、大多数のオタクを政府公認の国立オタク博物館に囲い込み、凌辱ゲームやロリコンゲームを楽しむオタクを再びビョーキにしたいのかもしれない。しかし、この現象の発生当初から、オタクとビョーキは一心同体のものであり、これを分割することなどできない。政府に囲い込まれたオタク文化はサブカルチャーとしての魅力を失い、枯れたつまらない芸能に堕するであろう。最近の宮崎アニメがつまらないのもオタクを軽蔑する彼の姿勢に問題があると考えられる。『ルパン三世』のクラリスにオタク第一世代が清純なエロスを感じたようなものはもはやない。クラリスのようなエロスがあるのは現代であるとすれば、『ライドバック』の尾形琳であろう。

  

異質なものを排斥する日本で生まれたオタクたちは自虐的に自らを『ビョーキ』と賞した。しかし、ここでゆがんでいるのはオタクなのだろうか、日本社会なのだろうか。

紅屋妙人はゆがんでいるのは日本社会だといいたい。このゆがみが日本にSM文学を作り出した土壌ともなっている。

紅屋妙人もこの伝統の流れの中でSM小説を書いて、『でじたる書房』で発表しております。

美しき女教師 強制受精 ~処女教師は監禁され精液を注ぎ込まれる~

廃校舎の美しき牝奴隷 ~令嬢たちは用務員に犯され受精する~

美しき女子校生 痴漢陵辱 ~美しき娘たちは監禁され、受精する~

美しき隷嬢女教師 ~新任女教師 痴漢 陵辱 強制受胎~

孕まされし美隷嬢 ~美しき女子校生 陵辱 強制受精~

愛おしき学園の美奴隷 ~美しき女教師 監禁陵辱 強制受精~

女子校生 美しき虜囚 ~美しき女子校生 コスプレ緊縛 強制受胎~

生贄の美しき女子校生 ~美しき女子校生 拉致監禁 強制受精~

緊縛されし水着の美隷嬢 ~美しき女子校生と美教師 水着緊縛 強制受精~

囚われの美教師 ~麗しの女教師 監禁 強制受精~

タイトルをクリックしていただきますと、でじたる書房(www.digibook.jp)の作品紹介のページに飛びます。そこで作品のさわりの部分を抜粋として、無料でお楽しみいただけます。お気に召しましたなら、全文をお買い求めください。380円です。(18禁です。)

オタクの誕生 ~オタク的な あまりにオタク的な 一~

はじめに オタクについて語ること

オタクについて書かれた日本の本は多いものの、それはオタクという人たちが書く場合には、その内容が、オタクを賞賛するものであれ、批判するものであれ、オタク的になってしまっている。すなわち、モノマニアックな書き方で、バランスを逸したものとなっている。岡田斗司夫氏のオタク学はオタクに関するオタクになってしまっており、オタクではない通常の人には良く理解できない本となってしまっている。

 批判する立場の場合、唐沢俊夫氏などがそうだが、初期のSFオタクの視点にたった衒学趣味が臭みとなっており、ガンダム以降のオタク第一世代を無用に刺激するものになっている。

 筆者はこれまで、いろいろと自分のことも含めオタクについて考えてもきたし、知人とも何度も議論してきたところである(もちろんオタクの知人ではなく、普通の社会人。)オタクの場合、異様に衒学趣味的なところがあり、筆者もそのような衒学趣味はあるのだが、自分の情報をひけらかすオタク的な話をしていても、普通の人はこわくなってしまうだろうと思い、あまり、こういう議論には参加しないようにしようと自制してきたつもりである。

 ただ、自制を続けていてはいけないのではないかと思う事件が相次いだ。一つは筆者も事件直後に現場に行った加藤智大の秋葉原大量殺人事件である。筆者は彼はオタクとは思えないのだが、オタクの犯罪として大きく取り上げられ、さらには、祝祭空間であった秋葉原の歩行者天国が廃止されてしまった。オタクはこわいものという宮崎勤事件以来の日本の保守層の恐怖感がヒステリックに反応した事件だと思われる。オタクについて、もう少しまともに考えなければならないと思う事件だった。

 もう一つの事件は、加藤智大事件よりも、筆者としては恐怖を感じた事件である。すなわち、凌辱エロゲーの規制事件である。これは海外からの反響で、日本の保守層がヒステリックに反応した事件である。これは日本の保守層のお粗末さを如実に表した資源であり、紅屋 妙人としても、これまでの自制を破ってでも、発言しなければならないと思った事件であった。

 最初に書いたように筆者はあまりこれまでの日本国内のオタクに関する議論には参加したくなかった。オタクのオタクになってしまうのが日本の議論だからである。これに対して、海外のオタク関係の論文は一所懸命に読んできた。そこで海外のオタクに関する議論は純粋に学問的にまじめなものがある一方で、普通の欧米の知識人はオタクは特殊日本的なものであり、病的な日本社会の産物という強い偏見がある。そして、今般の凌辱エロゲーの規制の発端となったのが、英国の政治家の発言というのが気になるのである。もともと、英国は日本蔑視の傾向が強い。その日本特殊論に立脚したエロゲー批判を日本の保守層が素直に受け取り、エロゲーの規制に走ったのが、紅屋 妙人には空恐ろしいものであった。日本の保守層は日本というものも知らずに、白人の尻馬にのって日本文化を否定するのかという恐怖である。

 この二つの事件を契機に、紅屋 妙人もオタク的な小説の創作だけを続けている我にはいかないと思うに至った。

 オタクというのは、その発生の当初から、素人が参加するタイプの文化活動であった。したがって、紅屋 妙人としても創作は続けてかなければならない。しかし、それだけでは、オタクのなんたるかを知ってもらうことはできないし、オタクという人々がタコつぼの中に入り込み、オタクのオタクになっていくという閉塞状況も打破できない。そこで、海外の論文を紹介しながら、オタクという現象について、読者のみなさんの幅広く考えてみたい。これまでの紅屋 妙人の作品ともども読んでいただければ、幸いである。

紅屋 妙人は、かつてオタクの先駆者というべき、奇譚クラブで名をはせた沼正三先生や、団鬼六先生の作品を読みながら、最近のオタク文化にもインスパイアされながら次のような作品を『でじたる書房(www.digibook.jp)』で発表しております。

美しき姉妹教師 ~処女教師は妄執のはてに犯される~

蒐集されし美処女

美しき処女を狩る者 ~処女姉妹は凌辱され孕まされる~

美教師 屈辱の家庭訪問 ~処女教師は監禁され孕まされる~

美処女 妄執のレイプ ~美女子校生はコスプレで凌辱され受胎する~

憧れの女教師 犯す ~美しき女教師は監禁され 受精する~

美しき女子校生 狩られる ~美女子校生は警備員に犯され妊娠する~

ストーキングそして凌辱 ~美令嬢は監禁され受胎を強いられる~

陵辱される学園 ~女子校生と女教師 陵辱そして妊娠~

美しき女教師 強制受精 ~処女教師は監禁され精液を注ぎ込まれる~

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